片倉城跡公園

由木エリア

東京都指定文化財である室町時代に築城された片倉城の城跡と周辺の優れた自然環境の保全を目的とした公園です。二の丸広場周辺の空堀などに城跡の遺構を見ることができます。
また、カタクリ・サクラ・ヤマブキソウ・菖蒲等の花々が次々と移り替わりながら咲くほか、カワセミ等の野鳥、ホタル等の昆虫や水棲生物など、多くの生物も見られます。

絹の道資料館・絹の道

由木エリア

市内の鑓水地区には、幕末から鉄道が発達する明治中ごろまでの間、横浜に輸出用生糸を運ぶために利用された道が残っています。現在、御殿橋のたもとから大塚山公園(道了堂跡)にある碑までの約1.5キロメートルを「絹の道」と名づけ、市史跡に指定されています。
また、途中には、この「絹の道」の歴史を紹介した「絹の道資料館」があります。この資料館は、生糸商人・八木下要右衛門の屋敷跡に建てられ、その屋敷の見事な石垣を一部復元しています。

国史跡八王子城跡(日本100名城)

高尾エリア

戦国時代末期、小田原城主北条氏康の子氏照は広大な山地に関東の西の守りとなる八王子城を築きました。天正18年(1590年)、豊臣秀吉は関東制圧の一環として前田利家 ・上杉景勝の軍勢を八王子城に送りました。猛攻にあった城はわずか1日で落城しました。関東を支配する上で最も重要な拠点であった城を失った北条氏は滅亡し、豊臣秀吉は天下統一を成し遂げました。時は流れ400年以上たった現在、城山のふもとにある御主殿跡など一部を復元しました。そのほかにも当時の面影の残る場所があり、戦国時代の激戦地の跡を偲ぶことができます。また、山頂の見晴らし台からは、遠く相模湾まで一望できます。

小泉家屋敷

由木エリア

多摩地区南西部の丘陵地帯の養蚕農家としての様相をよく残しています。屋敷の背後にある山林や前面田畑、明治11年(1878年)に建築された母屋、土蔵、納屋、堆肥小屋などを含めての指定となっています。
現在も住居として使用されているため、内部は非公開となっています。また、敷地内への立ち入りもご遠慮ください。見学の際は、敷地の外から所有者のご迷惑にならないようお願いいたします。

小仏関跡

高尾エリア

江戸時代、甲州道中でもっとも堅固と言われた関所です。
天正年間(天正元年(1573年)から文禄元年(1592年))に北条氏照が武蔵国と相模国境の要衝として小仏峠の頂上に築いたのがはじまりと言われ、その後麓に下ろされ、更に北条氏滅亡後の天正18年(1590年)に関東に入った徳川家康によって、現在地に移設され整備されたといわれています。
江戸時代の絵図によると、関所には東西に門が設けられ、敷地の北側に番所が設けられていました。東門の外には川が流れ、駒木野橋が架けられていました。関所周辺には竹矢来が組まれ、川底も深くして通行人の往来を規制していました。
関所の警備は一時三人だったこともありますが、概ね四人体制で専従の関守が置かれていました。関守達は関所付近に屋敷地を貰い、江戸との繋がりも深く、地域の文化を担う文化人でもありました。
全国の関所は、明治2年(1869年)の太政官布告により廃止されます。小仏関も例外ではなく、建物は取り壊されてしまいました。現在は建物の前にあった、通行人が手形を置いた手形石と吟味を待っている間に手をついていた手付石が残っています。
明治21年(1888年)に甲州街道は小仏峠を通る道から、現在の大垂水を越える道へ路線変更されました。その後旧道を保存しようという気運が高まり、関所跡は昭和3年に国の史跡に指定されました。
現在は旧道の面影を残し、また梅の名所としても知られ、ハイキングの人たちで賑わいます。

子安神社

八王子駅周辺エリア

今からおよそ1250年前、天皇陛下の皇后さまがご懐妊され、その安産祈願のために子安神社は創建されました。ご祭神は古事記の神話において、安産の女神として有名な木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)。一千年以上の長き歴史の中で八王子を見守り、女性の神として、安産・子授け・育児のご利益を授けてきました。

子安神社では一年を通して多数の祭典が催行され、それに伴うイベント関連も多く催されます。祭典では付属するイベントの方が注目されますが、本来は本祭典において神様に祈りをお伝えするものであります。